2016年6月10日金曜日

「近藤誠医師と大場大医師の対決」で見逃されている決定的な”事実”

少し前の話になりますが、週刊文春の夏の特大号で、近藤誠医師と大場大医師が「”がん放置療法”は正しいのか?」というお題で「対決」しています。

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週刊新潮上での大場医師の「近藤批判」に対して近藤医師が反論。

「『手術をした方が寿命が延びる』、『時間と共に早期がんは大きくなり転移する』。そう主張するなら、大場さんはこれが事実であると証明するべき側に立っているんですよ。」

「手術する根拠やがん検診を受ける意味…。本来はみな、医者たちがエビデンスを示すべき事柄なんだけど、少なくとも早期発見の分野、あるいは固形がんの抗がん剤治療については何一つ証明されていないのが実態です。」

等々、「口撃」しつつ、自説を展開しています。

残念ながら大場医師の誌面上の反論は「医の倫理」や「医学会の通説」、そして「ご自身の臨床経験」に基づく話に終始しているため、近藤医師の「そもそも治療を正当化できるエビデンスはあるのか?」という攻撃に反撃しきれていない印象で終わってしまっています。

では、近藤医師が主張するように現代のがん医療は本当に意味が無いのでしょうか?

実は、はっきり決着がつけられるデータが存在します。

  
「近藤理論」を当てはめれば、固形がんはどんなに小さい時に見つけても、「本物のがん」はすでに転移していて治療しても効果は無いし、転移していないものは「がんもどき」なので放置して大丈夫。結局、治療をする意味はないことになります。

ということは、「近藤理論」が正しければ、治療の方法がどう進歩しようが、同じステージ1(いわゆる「早期発見」の段階)で発見された患者さんの生存率は変わらないはずですが、実際はどうでしょうか。

上記のサイトから、「全国がん(成人病)センター協議会の生存率共同調査(2014年9月集計)」 のデータを見てみましょう。全国29のがん専門診療施設の1997年から2004年までの24万診断症例をデータベース化したものですので、信頼度はかなり高いです。

同じ50歳代でステージ1*のがんを発症したとして、1997年に罹患した人と2005年に罹患した人との5年後の相対生存率(がんによる死を免れた率)は↓のようになります。

・胃がん 96.2% ⇒ 96.3%
・大腸がん 87.9% ⇒ 98.6%
・肺がん 80.6% ⇒ 88.4%
乳がん 96.5% ⇒ 99.9%

胃がんを除けば、この8年間で生存率が改善していることが見て取れます。

生存率で考えると大した改善に思えないかもしれませんが、死亡率で考えればそのインパクトもわかりやすい。

例えば、乳がんで言うと、1997年に発見された場合、5年以内に乳がんで命を落とされる方が1000人中35人はいたのが、2005年に発見された場合は1000人中たった1人のみという数字になるのです。

これは普通に読み取れば、術式の進歩や、新薬の登場、術後の抗がん剤治療の徹底といった、治療の進歩で説明できます。(早期胃がんについては、この8年間での治療の進歩は殆ど無かったとも言えます)

近藤誠センセイ、これでも早期固形がんの治療に意味はないのですかね?



*50歳代のステージ1のセグメントを選んだ理由は、以下の通り
1)余命の話なので同じ年代で比べないと正確性を欠く(年齢のセグメントでなく全体で比べてしまうと、年齢のミックスが異なる影響を受ける)
2)ある程度若くて合併疾患もまだそれほどない年代のため、普通に手術するであろうことが予想される
3)上記の条件をやはり満たす40歳代よりはn数が多い


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  •  fujisan
    比較された1997年から2005年のデータですが、これは丁度、近藤医師達が抗がん剤の危険性やがんもどき理論を訴え始め、多少なりとも心ある医師達がむやみな手術や抗がん剤を控えるようになった所為です。近藤理論の奥は深く、早期発見できた患者さんの10年生存率を80%以上くらいにできてはじめて近藤理論を凌駕できたことになるかと。
  • fujisanさん、コメントありがとうございます。
    ・がんセンターの医師は近藤医師に左右されて治療方針を変えるような医師はまず皆無なので、前段については違うかなと思います。
    ・後段については、近藤理論を適用した、つまり放置した時のアウトカムがどうなるのかのデータがあれば是非知りたいです。それが無かったら、比較のしようがないですね。
  •  higeji
    通りすがりのものですが、気になったことがあり投稿させていただきます。ちなみに近藤さんを支持しているものでもありません。
    (ということは、「近藤理論」が正しければ、治療の方法がどう進歩しようが、同じステージ1(いわゆる「早期発見」の段階)で発見された患者さんの生存率は変わらないはずですが、実際はどうでしょうか)の一文ですが、手術の技術進歩はなかったとの見方はあながち間違えではないと思います。ただ統計上のがん患者数ががん検診受診者数の増加、また検診技術の向上により従来より増えていることはないのでしょうか?いわゆる、受けなければ患者数に加味されなかった数ということです。私が少々腑に落ちないのは、患者数という分母が大きくなったのではないかということでが、いかがでしょう?。稚拙な質問で失礼しました。
  • higejiさん、コメントありがとうございます。
    「統計上のがん患者数が、検診受診者数の増加や検診技術の向上により従来より増えている」はその通りです。
    従って、いわゆる早期である「ステージ1」の患者の数は絶対的にも(他のステージと比べて)相対的にも増えています。
    一方、その同じ「ステージ1」の患者が5年後どれくらい生存したかの「率」は検診による発見が増えていようがいまいが、その後の治療の善し悪しにより左右されうると考えます。同じステージ内の話であれば、分母が増えても(治療内容が同じであれば)生存率が変わるということはないからです。
    ちなみに、近藤理論は治療の善し悪しは、治療成績に関係ないとする考え方です
  •  Higeji
    ご回答有難うごじます。
    おっしゃることは理解したつもりです。ただ私が疑問に思ったのは、増えた罹患者数という分母に対し分子である死亡者数が同じなら、数字的には死亡率低下とみなされるのではないかという事でした。見当違いであればご容赦ください。
  • Higejiさん、コメントありがとうございます。
    (同じステージ1の患者の)分母の罹患者数が増えているにもかかわらず分子の死亡者数が同じなら、死亡率低下とみなされる、で合っています。
  •  kenta
    近藤理論によれば、これは、検査技術の進歩によって、より多くの「がんもどき」を発見したに過ぎないと反論されると思いますが、どうですか?
  • kentaさん、コメントありがとうございます。
    検査技術の進歩によって、近藤医師曰くの「がんもどき」=「ステージ1」の患者さんの数は確かに増えています。
    しかしながら、ここでは同じステージ1の患者さん群の治療成績を時代別に比べているので、ご指摘のような反論は成立しないかと思います。
  •  kenta
    近藤理論というのは、簡単に言えば、「本物のがん」と「がんもどき」があり、その違いは、「移転の有無」ということだと思うんです。
    ただ、現時点で、大きな欠点は、腫瘍が見つかった時に、科学的に両者の区別ができないことだと思います。
    ですから、彼は「放置」を主張するわけです。
    この理論からすると、ステージ1のような初期ほど両者の区別はつかず、検査技術の進歩で、結果的に「がんもどき」が多く見つかっているということになります。
    つまり、「本物のがん」は一定だが、見つかる「がんもどき」は増えているから、見かけ上、生存率が上がっている可能性があるということです。
    死亡者(本物のがん)/がん患者(本物+がんもどき)=死亡率
    生存者(がんもどき)/がん患者(本物+がんもどき)=生存率
    やはり、近藤理論を批判する場合は、検査技術の進歩によって患者数が変動する以上、死亡率より、死亡者数を用いるべきではないかと思われます。
  • kentaさん、コメントありがとうございます。ステージ1がもしそう(がんもどきだけが増えている)だとしても、ステージ2以後はそうは言えないと思います。しかし、この記事では触れていませんが、ステージ2以後でもやはり治療成績は向上しています。これは近藤理論では説明がつかないかと思います。
  •  touran7
    kentaさん
    新しい検査方法で見つかったものに「がんもどき」の割合が多いのであれば、その検査方法は「がんもどき」を見つけるものではないでしょうか。
    「本物のがん」と「がんもどき」が検査で区別できないという主張と矛盾するように思います。

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