2016年6月5日日曜日

癌の芸能人・有名人

今井雅之 俳優 大腸がんで死亡。54歳。 2015年に俳優の今井雅之さんは東京都内の病院で死亡した 今いくよ 漫才師 胃がんで死亡。67歳。 向井亜紀  S状結腸癌を告白。これまで20回近くの手術を受けていた 今回の告白と同時に、以前に経験されていた大病についてもブログで告白。 2000年に子宮頚がんを発症して子宮を摘出、さらに2006年には右腎臓の摘出など、これまでに20回近くの手術を経験されていた 愛川欽也 司会、俳優 肺がんで死亡。 80歳 坂東三津五郎   歌舞伎役者  すい臓がんで死亡。 樹木希林  女優  2014年1月に記者会見を行い癌の治療終了を報告 最初にがんを宣告されたのは2003年。乳がんと診断され2005年に右乳房前摘出手術を受けました。 手術は成功したのですが、その後2008年に摘出したはずのがんは腸、副腎、脊髄などにがんが転移している事が発覚しました。 その後、放射線治療を受けていた樹木希林さんですが2年後には、更に5,6か所転移している事が解り全身がんである事が分かった シーナ(シーナ&ザ・ロケッツ)  ロックバンド、シーナ&ザ・ロケッツのボーカル。  子宮頸がんで死亡。 元WBA世界ミドル級チャンピオン、竹原慎二 膀胱がんであることを告白。 竹原は以前から頻尿や血尿といった体調の異変には気付いていたが精密検査を受けた結果、2013年 膀胱がんが判明。 すでにリンパ節への転移がみられるほど病状は悪かった。 1日に10回以上もトイレに行くほどの頻尿の症状が現われはじめていた。その後、近所の病院を受診するも膀胱炎の診断。半年間に渡り、膀胱炎の薬を服用していたという。 突然、局部に激しい痛みに襲われる。その時の様子を「熱い塊りが出てくるような感じだった」と本人が語っている。しかし、病院での診断は前立腺炎だった。 2013年12月に竹原は血尿を発症。写真 さすが「ヤバい」と思った竹原は、大型の総合病院を受診。そこで告げられた診断は浸潤性膀胱がん。浸潤性膀胱がんとは、膀胱がんの中でも厄介で腫瘍のみを摘出するのが非常に難しいタイプのがんである。 竹原慎二腫瘍の大きさは2.5センチ、リンパ節への転移も発覚。ステージは3で5年生存率は40%という最悪な状況に追い込まれることに。 発覚が遅れた理由に、膀胱がんという病気は主に8割が高齢者で60歳以上の男性と喫煙者に発症しやすいといわれている。 竹原の場合は4年前まで喫煙歴はあるものの当時41歳という若さだったので、膀胱がんを医師が疑わなかったと考えられる。 がんが発覚したとき竹原は、ブログで、最初から大きい病院を受診していればと悔しさを語っている。闘病中 癌の芸能人・有名人 克服or死亡 林家木久扇   落語家 喉頭がんで闘病中。 癌を克服した芸能人で最近、2014年に有名だったのは落語家の林家木久扇 その後、2014年に笑点復帰している 夏目亜季  アイドル   子宮頸がんを克服したが、子供を生めない体に。 夏目亜季は数々の難病に苦しんできた 17歳のときに日本に1700人程度しかいない「自己免疫性溶血性貧血」という難病に 20代で癌の芸能人もいる 勝野七奈美  元歌手・モデル・ジュエリーデザイナー  父は俳優の勝野洋、母はタレントのキャシー中島 ヒップホップダンサーの猪田武と結婚 2009年2月に咳が止まらないなどの体調不良があり、病院で検査を受けた所肺がん(小細胞癌)が見つかる。 その後入院し治療に専念したが同年7月に死去、29歳没。 18歳のときには全治6か月の交通事故に遭い、助手席のフロントガラスに頭部を強打し、外傷性くも膜下出血で生死の境をさまよった 斉藤仁  柔道家  ロサンゼルス、ソウルオリンピック2大会連続金メダル 肝内胆管がんで死亡、54歳。 癌の芸能人・有名人 克服or死亡 ジョニー大倉(当時61歳)に肺がんが発覚。(2013年) 2014年 つんく(45歳) 公式サイトで初期の喉頭がんであることをブログで告白。 モーニング娘のプロデューサーでもあるつんくの喉に異変が現れたのは30代後半から症状があった 輪島大士  元横綱  咽頭がんの切除手術を受け、声を失う。 坂本龍一  ミュージシャン  2014年 中咽頭がんであることを発表 治療に専念、音楽活動停止  闘病中 アグネス・チャン 乳がん 52歳 蟹江敬三  俳優・ナレーター  胃がんで死亡   2014年3月30日 満69歳没 原千晶   タレント  子宮頸がんと子宮体がんの併発に加えリンパ節への転移も発見され、 年明けに原千晶は子宮全摘出手術・治療に専念し、2010年5月まで抗がん剤治療を受けていた 筑紫哲也  キャスター  肺がんで死去 NEWS23で初期の肺癌であることを告白、治療に専念するため『NEWS23』への出演を一時休業した。 復帰。以降はスペシャルアンカーとして数ヶ月おきに番組へ出演。最晩年には出演時にニット帽をかぶるようになった。 2008年「テレビジャーナリズムの確立に多大の貢献をした」として日本記者クラブ賞を受賞。最後のTV出演となった 2008年、筑紫哲也は肺癌のため東京都内の病院で死去した。 享年74(満73歳没)。真裏の報道番組同士のライバル関係にあった久米宏、古舘伊知郎らが自らの番組でその死を悼んだほか、 追悼特別番組が放送されるなど有名人なのでその死は大きく報じられた。 死去後の遺産相続の際に7000万円の申告漏れを東京国税局から指摘され、 そのうちの海外口座の4000万円は意図的な資産隠しを行ったとされ重加算税を含む約1700万円の追徴課税となった 芸能人癌闘病記 癌で芸能人が死亡することは増加している。若い人でも多い。 一部では芸能人の癌が多いのは放射能が原因だとも言われているが 著名人にも放射能の影響が出るのは時間がかかるため、影響がでるのはこれからだとも言われている。 芸能人癌患者が増えるころには話題になるかもしれません。 癌の芸能人・有名人 克服or死亡 過去に癌になり手術などの闘病生活を経て 最後には病気が転移して癌が死因でなくなった著名人はたくさんいます。 市村正親 2014年 早期の胃がんが発覚  闘病中 ピーコ  タレント、ファッション評論家  悪性黒色腫の診断を受けて左眼を摘出 SOPHIA・都啓一  アーティスト 濾胞性悪性リンパ腫で1年闘病 麻木久仁子  脳梗塞と乳がんを発症  タレント 2010年  48歳 間寛平  お笑い芸人  アースマラソン中に前立腺がんを発症 吉井怜 女優、グラビアアイドル  急性骨髄性白血病を発症 2000年、吉井怜は奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時に急性骨髄性白血病を発症した。 病名は両親にだけ伝えられ、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられた。 医師から抗がん剤投与の治療の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられ、芸能生活がおしまいだと絶望感を味わったが、 当時の専務の「待っているから」という言葉にはげまされた。 治療では無菌室に入り、1回目の抗がん剤の投与が原因で髪の毛が抜け落ち爪も黒くなった。 入院から一か月後に白血病であると知らされた。抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月がかかった。 医師は彼女に寛解維持療法と骨髄移植の2つの方法があり、母親とHLAが一致することから骨髄移植を勧めたが、 彼女は芸能界復帰がかなわなくなることを恐れ寛解維持療法を選んだ。 自宅に戻ったがすぐに芸能界には復帰できず、兄の「生きてなかったら、仕事もできない」という言葉で骨髄移植を受ける決意をした。 2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けた。 移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶を無くしている。 血液型がA型からO型に変わった 川島なお美  肝内胆管がんで12時間の大手術を受ける  53歳 渡辺謙  俳優  急性骨髄性白血病を発症、1年後俳優復帰、5年後再発、再治療。経過は良好。 カンニング 中島忠幸  お笑い芸人  急性リンパ性白血病、35歳で死去 川村カオリ  歌手  乳がんにより38歳で死去 深浦加奈子 女優 様々な役柄をこなす名脇役 2008年8月25日22時(午後10時)57分、S状結腸癌のため死去した。48歳没 深浦加奈子の最後の仕事はテレビ新広島の報道特別番組 『描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶』(平成21年度日本民間放送連盟賞・中四国地区審査会・報道番組部門優秀賞受賞)のナレーションだった。 体調が思わしくないにもかかわらず、「このテーマは絶対やりたい」と姉に付き添われて、広島まで出向いた 癌の芸能人・有名人 克服or死亡 宮迫博之 雨上がり決死隊  胃がん手術で胃の3分の1を摘出  42歳 大塚 範一  フリーアナウンサー  急性リンパ性白血病闘病、復帰後再発  闘病記『耐えて、咲く』を発表 闘病中  最新の情報では大塚範一は2015年 情報・バラエティ番組へのゲスト出演を時折行っている。 桑田 佳祐  歌手  食道がん闘病後、復帰、克服 山田邦子  タレント  乳がんを全て摘出して克服 アンディ・フグ  格闘家  急性前骨髄球性白血病により35歳で死去 本田美奈子 歌手・女優  急性骨髄性白血病、38歳で病死

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