最後を近藤の話で締めくくっているところを見ると文春は近藤派なのかもれない。
要約すると近藤は。
「欧米でも過剰診断が大きな問題になっている。ガンの発見数が10倍以上になっている国もあるが、ガンの死亡率は変わらない。
今井雅之の場合、大腸に5ミリのガンがあった時、すでに肝臓には1ミリ程度のガンがあったはずだ。
特に抗がん剤は酷い。大した効果はないのに医師に論文を書かせて厚労省の承認を得ている。
利益相反のある企業と研究者が結びついている例は珍しくない」。
大場は。
「医の倫理として放置することは基本的に推奨できない」。
と言ったところでもう負けだ。
医の倫理なんかクソクラエだ。そのせいで家族も本人も苦しんで生きながらえされている。
友人が乳がんの手術をするとき、彼女が差し出した封筒入りのお金を国立病院の医師は無言でさっと机の中に入れた。最後に送り込まれた個人病院ではあと2,3日ですよと言いながら検査の開腹手術とやらをされてその夜に泡を吹いて死んだ。
親の遺産で豊かに暮らしていた人なのでホスピスに入ってほしかったけど彼女の遺産を受け継ぐ姉が看病していたので私は口出しできなかった。嫌だ嫌だ。
今度は週刊新潮が「特別読物 近藤誠の7つの嘘」として4ページを使って大場大にたっぷり反論させています。
どうでもいいのですが、もっと生きたい、生きなくてはならない人は手を尽くしてガンと戦えばいいし、ここまで生きたのだからもう天命を待つと考える人は放置すればいいのではないでしょうか。
私の友人、光江の場合は、温泉に入っていて乳首の真ん中に黒いものああるので訊いたら痛くて眠れない夜もあると言いました。
大学病院の医師は私に友人は乳がんのⅤ期だけれど自分の治療で7年も生きた人がいる、と言いました。光江は私が急に優しくなったのは何故、と敏感でしたが自分で調べることはしない人でした。治ると信じていて、私には足を向けて寝られないよと言いました。私は事実を告げる機会がなく、手術してからは同じく独身のお姉さんに任せることにしました。お姉さんと私とで腹を割って話し合うこともしませんでした。光江に関してなんでも知っている私はお姉さんに敬遠されていました。
光江は、自分は鈍感で吐き気も痛みもないと言っているのが救いでした。あちこちに転移して5年後に死にました。死の数日前まで治らないと言われたら自分は自殺するとも言っていたので、事実は言えませんでした。あなたならどうすると訊かれて、私だったら抗がん剤には耐えられないので何もしないで家で暮らす、といったことはあります。みちかくても質のいい生活をしたいと思ったのです。
光江が亡くなって8年経ったけれどまだ考えています。昨日は夫を亡くして49日が終わったからと外に出てきた人に逢いました。80歳の夫は余命3か月と言われて淡々と受け入れたけれど、何にも物が考えられなくなったと言ったそうです。そして、何も片づけないで逝ってしまったので手紙や趣味の道具の始末に49日かかりましたって。
私は手術も抗がん剤もしませんといった場合、「医師の倫理」としてそれでは来るなと言われる心配があります。だから、自分はここまで、と決めた人は検診も受けない方がいいのではないかと思うのです。
痴呆と脳梗塞の後遺症を案じて暮らすより、ガンはある年齢を過ぎれば幸運な病気だと思うのです。

0 件のコメント:
コメントを投稿